ニッポニア・ニッポン
不況に苦しんでいる日本への応援のエールではありません。平成20年(2008)に佐渡で放鳥されたトキへの応援です。ご存じの方も多いと思いますが、ニッポニア・ニッポン(Nipponia nippon)とはトキの学名です。学名に日本を二つ並べていますので、日本の鳥の代表と思われがちですが、国鳥ではありませんし、残念ながらの日本産のトキはすでに絶滅しています。(ちなみに日本の国鳥はキジです)。
この話を書こうと思ったのは、昨年9月に佐渡で放鳥された10羽のうちの1羽が今月(4月)の初めに宮城県角田市に現れたからです。ただ、残念ながら原稿を書いている4月下旬には山形県米沢市に移動してしまいました。
放鳥されたトキ(H21.4.6 角田市)
日本のトキの歴史
以下に悲しい日本のトキの歴史を書きます。江戸時代には、北陸地方を中心に日本全土に分布し、葛西の湿地(東京都江戸川区)等での捕獲の記録もあるようです。世界的に見れば、朝鮮半島から中国の陝西省、そこから台湾に至る範囲の東アジアにのみ分布していようです。明治初期には日本各地で普通にみられ、人里近くの水田、湿地等で餌をとり、丘陵地の樹上で営巣をしていました。
その後、森林伐採・農地開発による生息環境の減少や、それまで禁止されていた狩猟の解禁による乱獲のせいで数を減らし、1920年代の半ばには絶滅したと思われていました。大正末から昭和初期に佐渡と能登半島で少数が確認されました。その後天然記念物に指定され保護されるようになりましたが、戦争がはじまり忘れ去られた存在になってしまいました。戦後の昭和27年に特物天然記念物に格上げされましたが、このころには佐渡で24羽、能登半島で8羽が細々と生きているにすぎませんでした。
日本産トキの野生絶滅
昭和42年(1967)にトキの保護や人工増殖のためのトキ保護センターが開設され、やっと研究が行われるようになりました。しかしその後も個体数が減少し続けたため、孵化したヒナを捕獲して飼育する事や、その前段階の卵を採取して人工孵化させる計画もありましたが、ヒナが孵らなかったり、無精卵だったりと計画は失敗しました。また、死亡したトキの体内からは有機塩素系農薬が高濃度で検出された事もあり、生息地の減少だけではなく農薬汚染の影響がより強くうかがえました。その後親鳥を捕獲しての人工繁殖に切りかえ、昭和56年(1981)に全てのトキを捕獲し、人工飼育下で個体数回復を行う事になりました。この時点で日本の野生のトキはいなくなりました。「日本産トキの野生絶滅」です。
日本産トキの絶滅と、その後
日本では全数をトキ保護センター内の保護管理下において人工増殖を試みましたが、成功しませんでした。先に書きましたが農薬による生殖能力の低下が影響したとも考えられました。そのため、なんとか日本産の血筋を残そうと、中国からトキを借り受けたり、逆に日本産のトキ(愛称:ミドリ、♂)を貸し出したりしましたが、残念ながら繁殖にいたりませんでした。そして平成7年(1995)に日本産最後の♂のミドリが死亡し、この時点で日本産トキの復活はなくなりました。その後平成15年(2003)に日本産最後のトキ(愛称:キン、♀36才)が死亡し、「日本産のトキは絶滅」してしまいました。
その間もトキ保護センターでは中国から借りたトキを使って、人工繁殖の研究を行っており、平成11年についに1羽の雛(愛称:ユウユウ、♂)が生まれました。その翌年には2羽、その後も13羽、12羽、18羽と繁殖に成功し、今年の4月17日現在、飼育個体数は112羽と数を安定的に増やしています。数が増えてきたことから、保護増殖計画に基づき昨年(2008)の9月に自然界(佐渡)に10羽を放鳥しました。その結果2009年の今現在、1羽死亡、1羽不明、8羽生存(そのうち3羽は本州に渡り、5羽は佐渡に残っている)となっています。この本州に渡った3羽のうちの1羽が、最初に書いた角田に飛来した1羽です。
放鳥されたトキの動き
放鳥されたトキは個体識別用の足輪と翼の下面に着色されていて、その内の6羽には発信器(アルゴスシス:人工衛衛星を使って位置を特定できるシステム)がつけられています。角田に飛来したトキ(個体番号No.4)にも、写真(記事上部)をみてもわかるとおり発信器(背中から後方にアンテナが見えます)がつけられています。この個体の動きを以下に示します。
放鳥された9月から3/27までは佐渡におり、3/28に日本海を飛び越えて新潟市に移動、4/1には新潟県の村上市、4/3に福島市、そして4/5に角田市に移動し、阿武隈川の中州でねぐらをとり、近くの耕作地で餌をとっていました。その後4/11の2:30までは角田にいましたが、その日の10:30には米沢市に移動していました。ここで、どうして米沢に移動したのか?との疑問がわきますが、人為的な影響も考えられています。前日の4/10に角田で大規模な山火事が起きています。山火事にビックリしてトキが移動した…???という話ではなく、消火のためにヘリコプターが使われ、給水場所の一つに阿武隈川があり、トキがねぐらをとっていた所のそばだったということで、それを嫌って移動したという話があります。山火事がなければトキは今も角田にいたのでしょうか…。
放鳥されたトキ(H21.4.19 米沢市)
ペアリング
エピソードをもう一つ。放鳥された10羽のうちの生存が確認されている8羽は♂♀各4羽ですので、うまくペアリングできれば自然界での繁殖が期待出来ます。ところが本土に飛来した3羽は全て雌(♀)であり、かろうじて1羽の♀が佐渡に残っています。ただ佐渡に残った1羽も、実は一度本州に渡っており、その後佐渡に戻っています。どうして雌のみが外に出たがるのでしょうか?若者が都会を目指すように、トキの♀は本土を目指す?
一説によれば、ペアリングの決定権は♀にあり、放鳥された雄(♂)が気にいらずに、本土には良い♂がいるのではないかと思って渡ったのではないか?との話があります。真意の程は不明ですが、人間の♂として生きている私には、身につまされる部分があります。皆さんどう考えますか…。
失われた生き物は戻ってこない
最後に、佐渡でも米沢でも角田でも何処でも良いのです。自然界で生き続け、そしてうまい巡り合わせでペアリングし、繁殖できれば素晴らしい事だと思います。ただ、忘れてはいけません、一度失われた生物を自然界に復活させることはほとんどできません。たまたま、中国に同じ種がいて、たまたま中国での保護がうまくいき、日本での研究も十分に行われ、その成果があったからこそできた事です。そのために多くの時間と、それに携わった多くの人の苦労、当然お金もたくさんかかっています。そのことを肝に銘じ、トキを見守っていきたいと思います。