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トキに続け!!(シジュウカラガン)

2012年12月1日
文:佐竹 一秀
(WEB公開:2015年12月1日)

渡りの風景

遠くからカハハン、カハハンとガンの声がする。ガンの群れが夕日を横切っていく。晩秋の宮城県県北地方の風景です。県北出身ですので、子供の頃の記憶の中にもその音風景が残っています。

ガン類は冬鳥としてシベリアから渡ってきます。伊豆沼周辺での渡来数は年々増えており、今冬は15万羽前後でしょうか?(数が多すぎて正確に把握できていないかも…)。過去の渡来数はどうだったのでしょうか。昭和18年には日本全国に149箇所の渡来地があり、約62,000羽が渡来したとの記録があります。当時は狩猟鳥になっていましたので、狩りの対象として徐々に数を減らしていき、昭和45年頃には約5,000羽の最低数を記録しています。この昭和45年にやっと狩猟鳥からはずされ、そこから徐々に数が回復していきます。昭和55年には約7,500羽、また昭和60年に出版された『伊豆沼の鳥たち』という書籍には、日本に渡来するガン類の個体数は約20,000羽、そのうちマガンが14,000羽、さらに伊豆沼では13,000羽が見られるとの記載があります。その後も順調に数を増やし平成に入り30,000羽となり、さらにさらに増やして、もういいと思うのですが、現在の15万羽あるいはそれ以上の数になっています。

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    マガンの群れ

シジュウカラガンの復活

次に一時は絶滅したかと思われた、シジュウカラガンの復活の話をします。名前の通りシジュウカラのように頬(から喉にかけて)が白いガンです。かつてはアリューシャン列島で繁殖し北米西海岸で越冬するものと、千島列島で繁殖し日本で越冬するものがいました。しかし、20世紀初めに毛皮を得る目的で繁殖地の島々にキツネが放されたため、その影響で生息数が激減し、一時は絶滅したものと見られていました。幸い1962年(昭和37年)にアリューシャン列島の一部で奇跡的に生存していることが確認され、その後アメリカ合衆国政府による保護・増殖によって、アリューシャン列島の個体群は絶滅の危機を脱するところまで回復しています。

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    シジュウカラガン(写真提供:瓜生篤氏)

仙台市動物園の試み

それでは!と言うことでもないのでしょうが、千島で繁殖し日本で越冬する個体群の復活の調査研究が行われていました。トキやコウノトリの人工繁殖、野生復帰の陰に隠れてしまって、あまり話題に上りませんが、ずっと昔から結構頑張っています。さて、頑張っている方々は誰でしょうか。実は仙台の八木山動物園です。他にロシア科学アカデミーと日本雁を保護する会が協力して、シジュウカラガンの渡りを復活させる事業に取り組んできました。方法はトキの場合と似ていて、人工繁殖させて数を増やし放鳥するというやり方です。ただ、トキとは違って渡りをさせる必要がありますので、結構大変です。まず1983年にアメリカからアリューシャン列島産のシジュウカラガン9羽を提供してもらい増殖を始めました。増殖は上手くいき1985年から1991年までの6年間に37羽を伊豆沼周辺のマガンの群れの中に放し、一緒に渡ってもらう事を考えました。

ロシアとの協力

結果は、渡りをせずに動物園に戻されたもの11羽、行方不明24羽、残りの2羽が渡ったと考えられましたが、翌年以降日本に戻ってくることはなく、結果的には失敗でした。その時期は米ソの冷戦が終わり、ロシアと日本の関係も良くなってきていて、ロシア科学アカデミーカムチャッカ太平洋地理学研究所との協力も本格的になってきました。今度は、越冬地の日本ではなく、繁殖地での放鳥が行われることになりました。この時は日本からロシア側に種鳥を供給し、カムチャツカの研究所で繁殖させ、千島列島北部のエカルマ島に運んで放鳥しました。1995年から2000年まで毎年数十羽、合計119羽を放鳥したところ、1997年と1999年に日本に渡ってきた個体を確認できました。(放鳥された個体には足輪が付けられていて、個体識別ができるようになっていますので)。

甦った「渡り」

この時、渡りが確認されたのは2才未満の若い個体だけでした。そこで、2002年から2006年までの5年間、若い個体を中心に毎年50羽前後の放鳥を本格化させました。その結果、2006年には11羽が渡来し、また翌年に同じ個体群が見られたことから、渡りを身につけた群れが確認され、渡りは復活し始めています。その後も、毎年確認数は増えており、昨年は100羽を越える群れも確認されています。トキに負けず劣らず凄いことだと思いませんか。数を増やすだけでなく、渡りも復活させるとは、凄い!!

江戸時代のカラー鳥類図鑑

前述の「伊豆沼の鳥たち」という本の中に「観文禽譜(かんぶんきんぷ)という江戸時代に書かれた図鑑があり、「仙台付近でガン10羽を捕まえると8羽がシジュウカガンだった」との記載がありました。観文禽譜には鳥類のカラーのイラストが描かれ、それらの生態等のコメントが記載されていて、まさに鳥の図鑑です。いつの時代でも図鑑の必要性は感じますが、望遠鏡や双眼鏡も一般的ではなく、写真は全くありませんので描けるでしょうか。現代であれば、知識がほとんど無くてもそれなりの倍率で写真が撮れ、その写真を見ながらイラスト化ができます(絵心があればですが…)。さらにその中に仙台でシジュウカラガンが多かったという、記録があることにも驚きました。

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    シジュウカラガンの群れ(写真提供:瓜生篤氏)

むかしは「いぬ」だったシジュウカラガン

この江戸時代の観文禽譜を基に、2006年に『江戸鳥類大図鑑 よみがえる江戸鳥学の精華「観文禽譜」』が出版されています。この江戸鳥類大図鑑でシジュウカラガンは「いぬがん(いぬ雁)」の名前がついていました。

解説には、「仙台に非常に多く、雁よけに張った縄があっても畑に入ってきて麦を食う(他の雁は縄を恐れて入ってこない)。肉の味はよくなく、時によっては臭みがある」とありました。これをもとに色々なことが想像できました。まず、大型の鳥ですので狩猟対象になっていたはずです。ただ肉の味はよくないので、好んで捕られない。そのため個体数が多い。捕られないので人を恐れず、畑にも平気で入ってくる。また「いぬがん」の名前がついていたことから、ガンのなかでもランクが低い(「いぬ」の名は、付かないものに比べて、より有用性が低かったり、使えなかったりすることを意味している場合が多いです)。現代では一生懸命復活させようとしていますが、江戸時代には厄介者…。

時代が変わればということでしょうが、いろいろと考えさせられます。これから寒くなりますので、コタツに入って「江戸鳥類大図鑑」を見ながら、昔のことをあれこれ想像してみるのも楽しいかも知れませんね。ただ、チョッと高価な本ですので、私は持っていませんが…。

  • 【参考資料】
  • 伊豆沼クラブ『伊豆沼の鳥たち』(宝文堂、1985年)60-62頁
  • 宮林泰彦編纂『ガン類渡来地目録第1版』(雁を保護する会、1994年)10-27頁
  • 鈴木道男『江戸鳥類大図鑑 よみがえる江戸鳥学の精華「観文禽譜」』(平凡社、2006年)119-120頁
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